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22 November

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10 October

東洋大陸上部に文春砲炸裂!?


東洋大陸上部が告発 箱根駅伝選手から「殴られ『マジ死ねよ』」

つい先日、出雲駅伝で2年ぶり4度目Vを果たした青学の和気藹々としたチームの雰囲気とは対照的。

昨今、指導者や先輩による行き過ぎた「指導」の話題は枚挙にいとまがない。高校野球、アメフト、体操、レスリング、などなど。

確かに昔は容認されていたのかもしれない。僕は中学・高校ではサッカー部に所属していて、やっぱり先輩との上下関係は極めて厳しかった。

小学校ではワケあって(笑)バレーボール部に所属していて、顧問の先生によるしごき練習は凄まじいものがあった。

今でも覚えているのは、こんな地獄の特訓。小学生にとっては広いバレーコートにひとり入り、先生が右に左に放り込むボールをレシーブ。アタックとトスを交えて緩急つけられ、直ぐにクタクタになる。

疲れてくると顔面めがけてアタックの球が飛んでくる。レシーブでなく手で防ごうものなら・・・。

ちなみに、そのワケとやらは、母親が昔バレーボールをやっていたから、というだけの理由だ(笑)。

キャプテン翼ど真ん中の世代。当然、僕もサッカーをやりたかったけど、小学校にクラブがなかった。読売クラブ(東京ヴェルディの前身)への入部を真剣に検討したこともあり、練習を見学したりもした。

ところが、僕の人生は大きく狂った(笑)。母方の祖母が家に遊びに来て、家族会議が開かれた。当然、サッカーは危ないだとか、当時はまだJリーグもない時代だったから、わざわざ通ってどうするんだ、とかとか。

小学校低学年だった僕は大人達の意見に屈した(笑)。もしあの時、読売に入れていたら、高校生の時にJリーグができたし、僕の人生は180度違ったものになっていたんじゃないかと思うemoji

近所に仲の良い3兄弟がいて、お父さん揃ってボーイスカウトという家族がいた。話をうまくすり替えられ、サッカーを諦め、ボーイスカウトに入団させられたのだった。

結局、大学で留学する直前まで続けていたし、料理とかサバイバル能力とか!?、今になって役立っている様々な能力・スキルを身に付けることができたので、全く後悔はない。

で、やっぱり何かしらスポーツがしたいってことで、野球、バスケ、バレーの選択肢の中で、そういう理由でバレーになった、というわけで。。。

小中高と陸上部はあったけど、全く興味が湧かなかった。それが、35才になってマラソンを始めて、どっぷりはまるとはね(笑)。

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